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Tetsuya Hoshino
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僕たちは何のために生きるか
--唯物論に基づく価値探求の手法--

<はじめに>

人生における根源的な問い。何のために生きるのか。生きる価値はあるのか。知識と教養を持った人であれば、一度は考えるであろう。しかし、それを徹底的に突き詰めることは少ない。この問題の検討には宇宙がどのような仕組みになっており、自分はその中でどういう位置づけにあるかが重要となる。
  筆者はその問いから、脳に価値の源泉を見出した。人文的な世界と科学の世界の接点は脳であると考えた。本論では脳を価値と結びつけて科学的に解明する方法を検討する。そのため、人文と科学の両分野にまたがって話を展開している。人文と科学を融合させようという戦略家にとって研究の方向性に示唆を与えるはずである。
  生きる価値を追求する手法についてその手法の信頼性から検討し、生きる価値に結び付く脳の記憶の解明方法について述べる。本論は、宗教論ではなく、教養を高めるためのものでもない。人を救うことを目的としているのではなく、考え方は科学に近い。真摯に生きる意味と向き合った軌跡である。
  前段の問題は、価値を突き詰める必要性である。形而上学的な観点での必要性の有無は別として、現実問題として、覚醒した人、あるいは、人生で絶望の淵に沈んだ人にとっては、最重要課題となるのではないか。あるいは、将来、すべてを人工知能がやってくれる時代において、何を目指せばよいのかを考えるうえで、避けては通れない道であるかもしれない。本論は絶望した人に救いの手を差し伸べるわけではない。ただ、自分の生きる価値を見出したいという欲を捨て、現実を直視したときに、はじめて見えてくる世界がある。池の浮草のように流される存在ではなく、池の底に根を張るしっかりとした葦になることができる。

苦悩のトルストイと天使


<唯物的な価値基準の重要性>

人は生きるのに忙しい。離島で暮らす人は、食料の調達に忙しい。都会のオフィスで働く人は、文書作成や会議で忙しい。自分が生きることがどのような意味を持つかなどについて考えることは稀である。これは、理にかなった生き方である。常識を学び、世俗的に正しい道に沿って懸命に努力する人が報われる。人が社会生活を送り、所属する組織内において、高い評価を受けるためには、その組織の常識を身に着けることが必要である。
  常識とは、国や時代、宗教、あるいは会社組織によって異なる。それは、必ずしも正しさや真理ではない。常識は真理や理想とは異なる世俗的なものである。真理や理想を追う人が、仏教の僧侶、キリスト教の牧師、ヒンドゥー教の司祭として、別の立場を与えられることは理由があるのだろう。仏教は、神の信仰と同時に、真理の追究という側面を持っている。日本の仏教では、一般人が、僧侶になるということは、世俗的な成功を求めることから一線を引いた世界に生きることを意味してきた。人が生きる意味を考えるのは、僧侶の仕事である。
  しかしながら、何のために生きるかは、人の生き方を決める重要な課題の一つである[1-10] 。これは、どういう価値基準で生きていくかということになる[11]。人生の長さは限られており、なるべく早い時期において、正しい価値基準を持つことが、有意義に一つの命を全うできる可能性を高める。人は先達に学ぶことができる。しかし、その学んだことが正しいとはどのように担保されるのか考えたとき、最終的には人は自分でそれを検証するしかないことに気付く。人は多くの情報に囲まれつつも、最終的には自分の力量の範囲内でしか正しい到達点には至らないのである。
  宗教の重要性は、それが、価値体系を与える点である。生きる規範を与え目的を与えてくれる。それがないとすれば、自分で考え規範を構築する。日々生きるのに精いっぱいの人々においてこれは大変な作業である。誰もができるわけではない。「もし神が存在しなければ,それを発明しなければなるまい」とは名言である[12]。
  価値基準は人によって大きく異なる。その根源的な理由の一つとして、同じものでも認識のされ方が異なるということが挙げられる。例えば、同じ色でも認識のされ方が異なる。赤い紙を見たとき、リンゴの赤を想起する人もいれば、波長範囲を考える人もいる。その波長範囲の定義も人によって、若干違うことを言うかもしれない。そもそも、赤を認識しない人もいる。もし、正しさが唯一無二であるならば、人による違いは少ないはずである。これは、価値基準が相対的になっていることを示唆している。その結果として異なる基準を持つにいたる。端的な例が、宗教である。多くの人が異なる神を信じているのである。このような砂上の楼閣に立つ、言論界において、なるべく信頼に値する指針を立てることは課題を検討するためのロジックの構築に寄与するだろう。例えば、赤の定義を波長分布で与えれば、その定義に関しては人による違いは、だいぶ小さくすることができる。
  人はその生い立ちの過程で、多くの価値観を植え込まれている。真理を追究するために、いったんすべてリセットして、ゼロベースから考えたい[13]。そのために、言論が築き上げた価値体系をいったん捨てて、唯物的な立場から価値体系を構築する手段を検討したい。
  ただし、唯物的な価値体系もまた、言論に依存している。より確からしいと考えられる手法を用いるということで、絶対的に正しいというものではない。唯物的な考え方では、神から絶対的な価値観を与えられるわけではなく、人はより正しいと思う方向を試行錯誤で探すだけである[13]。これが絶対的だと断定はできないのである。唯物的な価値観は、必然的に相対的なものとなる。そもそも価値などいうものの実態がないのかもしれない。各人が生きる上で自発的に作り出しているものに過ぎない可能性がある。
  銀河系の外から見れば、人類は、太陽系の地球という惑星の最表層において、有機物が恒常性を保ちつつ、幾世代にもわたって、再生を続けものである。個人的な肉体的な再生に加え、民族としての再生が重要となり、文化という付属物が発生した。文化は、肉体的な再生に大きな影響を及ぼす。その文化のなかで、再生を続けるための重要な要素の一つが価値であろう。価値が唯物論で所与のものでなかったと結論されても、現実には、価値に基づかずに生きることはできない。人はそれを経験的に知っている。
  一人の人生が宇宙の歴史から見れば一瞬であることを考えると、自分が後世に何を残せるかということが重要であり、その意味合いを考えるうえで、宇宙そして人間社会がどのような仕組みであるかということとがポイントに思える。膨大な数の宇宙があり、高度な文明を持つ人間が存在し得るのは、極めて特殊な宇宙だけであるといわれている[14]。さらに、この宇宙だけでも100億年の歴史において、人類の歴史はわずか200万年、文字が使わ始めたのは5000年前、ソクラテス・アリストテレスを起源の一つとする西洋科学が始まったのは2400年前、Mahlon Loomis が無線通信を提案したのは150年前に過ぎない[15]。まだ、地球上の人類以外の他の文明は見つかっていない。私たちは、特殊な空間で希少な瞬間を生きているのである。
  何世代にもわたり連綿と続く命の継続性、これが最重要であることは間違いない。なぜなら、これなくしては、何かを考える主体すらないのである。命が再生されなければ、価値体系を担う者がいないので、その価値は消滅する。筆者は唯物的な価値体系の中心の有力候補は遺伝子だと考えている。それは、DNA(デオキシリボ核酸)を中心とする価値観である[16]。たとえ、生きる価値がなかったとしても、生きる価値を否定した時点で、その考えを持った個体に生き残るチャンスはなく、そのような文化は消えていくのではないだろうか。思想が科学的に間違っていたとしても、生き残るのに適した文化が残っていく。生きる価値の真理に到達したとしても、最終的に考えるべきは生き残る術である。そうした観点から、生きる価値を探る意味があるとすれば、それは、生き残る術に関するヒントを得る可能性があることにつきると言える。
  科学的な見地からの何のために生きるかに対する答えがなかったとしても、現実問題としての何をよりどころにして生きるのかという問題は残される。文学においては、例えば、家族内での愛情や人と人とのつながりという言葉で表現されている。それを科学的に詳しく見るとどうなっているかを探求することには意味があるだろう。
  ここでは、唯物的な考察による価値体系の再構築の指針を示す。さらに、再構築に必要となる科学的手法について述べる。そのために、具体的な実例を挙げる。
  こうした研究は、科学哲学と呼ばれる学問分野で検討が進んでいる。例えば、価値基準を考える上で、科学のもたらした重要な理論の一つは量子論である。すべての事象は歯車で回る機械のように定まった運命ではなく、確率事象だということである。厳密には、将来を確定的に予測するのは不可能なのである。様々な可能性が開けているともいえる。
  科学によるにおける価値の探求において、最先端の研究の一つとして、光学による脳の研究に注目している。価値の源泉が脳であると考えたときに、脳の中で起こっている高速な信号のやり取りの解明手法として、適しているからである。脳内にある神経細胞の微弱な信号を、信号に影響を与えない形で、高速にとらえることが、脳の解明に役立つと考えている。
  本章の「唯物論」で言語に基づく価値の考察を行ったのち、「科学哲学」の章でその検証を唯物的な立場から行う科学的手法について述べる。

ニーチェと仏陀

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